PageTop

当研究会についてConcept

History公扶研活動の歴史

全国公的扶助研究会の歴史

私たち全国公扶研の前身であった「公的扶助研究会全国連絡会」(略称「公扶研連」)は、1963年(昭和38年)に福祉事務所の公的扶助ケースワーカーがお互いに呼びかけ、神奈川県箱根に集まり開催した自 主的な研究集会を契機として、1965年(昭和40年)に各福祉事務所の社会福祉研究サークルの全国組 織として結成されました。

 

当時は、日本資本主義経済のなかから生み出されてきたさまざまな社会問題が、低所得者にとりわけ深刻 な生活問題として顕在化しつつ、国民全体に拡大、深化を及ぼしていた時期でした。また、福祉事務所では、「第1次適正化」~「第2次適正化」と指摘される厳しい保護引き締めが続けられていました。このなかで、福祉事務所で働く側からは、朝日訴訟の取組みや自治研運動に学びながら、生活保護受給者の権利を守る立場から福祉行政の民主化と福祉労働者の組織化が求められていました。しかし、厳しい状況の中で、各福祉事務所では職場実践の方向を見失いがちでした。また、頑張っている各地の研究サークルもそれぞれ孤立し がちで、研究成果を現場に返していく力に高めきれないでいました。

 

公扶研活動は、この現状を打開し職場を基礎とした理論と実践を自らの手でつくりあげるために、まず共通の広場づくり・仲間づくりから始まりました。具体的には「職場づくり」「仕事づくり」を進める中で、社会福祉労働の集団化と組織化の取組みを強め、この中での対象者の生活問題の緩和と解決を図りながら、社 会的自立につなげる理論と実践の向上を図ってきました。

 

現在は、貧困問題と正面から対峙する集団の場が弱まってきています。それだけに職務上貧困問題を丸ごと抱え込む福祉事務所の社会的役割は、以前よりさらに重要性を増してきています。公扶研活動において展開されてきた貧困と生活問題への究明は、今日の長期的に続いている福祉見直しのこの時期にあって福祉の 原理・原則の再認識作業と共に、ますますその意義を高めています。

 

最後に、1993年に起こったいわゆる「福祉川柳」問題についてですが、私たちは「公扶研あり方検討委員会」を組織し、その様な事態を招いた背景と原因について次の3点について論議をしてきました。一つ目はその社会的背景として、保護の適正化政策、「行政改革」の中で生活保護受給者が減少してきたと いう現実と「補足制の原則」が強調され、生存権保障という生活保護法本来の目的と「権利性」が後退させられている状況があること、二つ目として福祉労働者、ケースワーカーは度重なる監査のなかで「処遇」より「調査」に重点が移り、被保護者に問題があるかのように意識する風潮を生み出していったこととケースワーカ ーの専門性を軽視する当局の人事異動により、経験の蓄積が困難になり、「早く異動したい」職場となり、相手の立場を考える余裕すら持てなくなっていたこと、三つ目には、「福祉川柳」を無批判に機関誌に掲載した公 扶研連の責任は大きく、その原因として、公扶研連が組織的に運営がなされておらず、事務局長と編集長の個 人的努力に依存していたこと、すなわち「請負わせ主義」「請負主義」に陥っていたことを総括しました。

 

私たちはこの総括に基づいて、1995年3月再建総会を開催し、再スタートを切りました。しかし、「川 柳」問題に関わる総括はこれで終わったわけではなく、引き続き論議を重ね、かつ実践で示すことが重要だと考えています。私たちは「福祉川柳」問題の総括会議の中で、現在の福祉職場の置かれている状況について改めて認識しま した。その中で私たちがクライエントの立場に立って生き生きと活動することがいかに大切なことか考えさせられました。その一つの答えが全国各地に自主的な研究会を作ることでした。そこで一人一人が支え合いなが ら自己研鑽をする必要性を改めて痛感したのでした。全国各地に、職場、地域に無数の研究会を作ろうではありませんか。そのために是非みなさんが全国公扶研に入会して、私たちと歩んでくださるよう、心から訴えるものです。